本日は天使のPIA初日。
受講生の方々が素晴らしく、K講師もいたので、講座は素晴らしく終えられました。
自分も役割は果たしたような気がします。
いや、絶対に果たしたと思う。
てもなぜか浮かない自分がいる。
それは静かな時に、自分が受講生にどういう対応をするのかを聞かれることをすごく恐れている自分が居たから。
この瞬間、内観光受が解けてしまい、恐れの方が強まってしまった。
講座はやはり怖いということなのだろう。
それは理屈ではない。
ただ、完璧主義な自分が居て、その自分は完璧に出来ないとどうしても許せないみたいだ。
仕事に関してもそうだ。
先日寂光に向けての記事を書いたが、何か違和感があった。
それはたかが異動をこの世の終わりのように書いていたから。
これまで仕事で適応できなかったけど、なんとか会社に来ていた。
5月から異動して少しでも分かるところで戦ってみたいと思ったのは自分だ。
やれるだけやればいいはずなのに、自分が新しい職場で全然上手くいかず、それが嫌になって会社に行かなくなることを予期して不安を勝手に感じている。
根っこは同じだと思う。
人に認められるぐらいには出来ていないといけない自分。
そこにあるのは他者評価。
このタイミングでこのことが浮き彫りになっているのも何か意味がある。
きっと真我で解決出来る。
自分が一所懸命やってその結果としてダメだったり、いい評価をもらえなかったとしても、
きっと自分を許せるようになる。
真我を諦めない。
しかし、どうしてこんなに他者評価が気になるのだろう。
完璧に出来る自分への執着が解けていないんだ。
恥ずかしいと思うのもおなじかな。
完璧な自分を求めているが自分がそうじゃないから許せないのかなぁ。
かわいそうじゃないかなぁ、自分が。
こんなに真我やっても取れないんだ。
この恥ずかしさが無くなったら、自分がどうなっちゃうと思って怖いんだろう。
恥ずかしくないからもっともっと前に出ちゃって、そのことで傷つくとと思ってるのかなぁ。
今の自分には恥ずかしさが必要と勘違いしてるんだろうか。
全然分からないけど、この呪縛から解き放たれたいと強く願っているのも事実だ。
もう疲れたよ
こんなに頑張ってるんだから、自分を許してあげようよ、
お願いだよ、自分
一緒に手放そう。
怖くない
もう怖くなんかない
手放そう
ありがとうございました。