50歳からの人生再構築日記(YSメソッドとうつと私)

90日プログラムでのうつ寛解率9割

YSメソッド20日目 次元二日間集中コース

今日は次元コースの二日間集中の初日です。

 

ひたすら心のゴミ出しを行い、

 

 

ゴミ出しをするために鉛筆を10本以上折った

 

 

側から見れば気が狂ったんじゃ無いかと思われるところ、

 

 

それをやっていいのがYSメソッドのすごいところ

 

 

感情を出すことをとにかく奨励される

 

 

自分の場合は文字に出すより、書き殴るというか怒りをえんぴつと紙に向けて叩き壊すやり方が性に合っている

 

午前中はゴミを出し切ってフラフラ

 

もう仕事なんてやめてもいいやーという気になり

 

 

昼に新しい仕事のネットサーフィンをしてしまった

 

 

昼休みは休憩だから、本当はネットサーフィンはやらない方が良かった気がする

 

 

午後はご飯を食べたのと、昨日までの会社での苦行疲れが襲って来て半分フラフラの状態で

 

 

佐藤先生の映像音声も今ひとつ入って来ない

 

やばい、集中力かいてるとは思ったものの

 

 

時すでに遅しというか、もうどうしようもないので、流れに身を任せることに

 

 

生命の愛として母親を捉えてみるワークなのだが、今ひとつピンと来ない

 

大丈夫かなぁと思ってるうちに初日が終わってしまった

 

 

これでいいのかなぁと思っていたのだが、講師は順調とのこと

 

 

講師の言うことは信じると決めてるから、シノゴの言わずにやることに

 

 

宿題としては本日書いたメッセージを音読して来ること、というものだったので大人しくそれをしてよう

 

 

今日の気づきとしては、使えない母親と思っていたけど、それは自分が母親のハードルを上げているからそう思うのであって、彼女は彼女なりに私達を愛そうとしたのではないかと言うこと

 

私は母親のことを「もっともっとお化け」と思っているが、それは母親に限った話ではなく、私が1973年に生まれてからの時代背景が高度成長からバブルに向かっていく時代だった訳で、母親から感じ取らなかったとしても社会の世相からそういうものを感じ取ってしまっていた自分がいるのではないかということ

 

 

そして自分の奥さんがある意味パーフェクトマザーだから、その物差しで母親を見て、ダメ母親と裁いてしまっていたのでないかということ

 

 

また、自分の比較ぐさなどは遺伝的な部分もあるから、それを母親のせいにし過ぎるのは少し酷かもしれないということ

 

 

私の一家が背負ってしまった遺伝的特質、仏教的に言えば因縁やカルマというものを、母親の子育てのせいだけにするのは酷かもしれないと思った。

 

講師はこの小さな変化を喜んでくれていたから、きっと自分も喜んでいいのだろう

 

 

本当は感動の涙をブワーッと流したいところなのだけれども、そういう所までは行かず、少し物足りないがこれで良いと信じる。

 

 

そう言えば頭は重たいが、不思議と身体が軽い

 

 

昨日まであんなに疲れていたので少し不思議だが、根底では疲れているんだろうな。

 

今日は銭湯に寄って、帰ってご飯食べて爆睡しよう

 

奥様美味しいご飯をいつもありがとう。感謝、本当に。