50歳からの人生再構築日記(YSメソッドとうつと私)

90日プログラムでのうつ寛解率9割

一番列車から降りてみた

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これまでもヤケになって諦めたフリをしていたことはあったが、諦めていなかった

 

まだまだ自分は出来る、何か自分を生かす方法があるはずだ、この観点では自分の方が上だ、などなど執着を粘り強く行なってきた

 

風邪を引いたら風邪薬を飲むように、パニック障害っぽいと言われたらパキシルを、不安障害っぽいと言われたらサインバルタを、ADHDっぽいと言われたらコンサータを、

 

薬を飲むことも自分で選択してきた

 

 

どこかで逃げ道を作りたかった。自分は病気だから出来ないんだ、正常ならもっと出来るんだ、病気のせいなんだ、と言いつつ、全く諦めていなかった。

 

 

最初に薬を飲んだのは入社2-3年目の頃だから、一時飲まなかった時はあったものの、かれこれ20年近く飲んできたことになる

 

 

この間様々な苦しみを経て、2年前に小さな解放があり、自己肯定感の醸成が少しずつなされ始め、これなら俺はいけるんじゃないかと思い始めた頃に

 

腸の調子が悪くなり体が悲鳴をあげ始めたのは何という皮肉か

 

日曜、月曜の苦しみを経て

 

本日泉谷先生の初回カウンセリングにて、サインバルタによる抗うつ作用が感情の強い浮きに悪く作用しているようだと言われた。

 

そんな、、、

 

今のドクターに減薬したいと言った時、あと半年間は維持しないとぶり返すと言われたことが思い返される。

あそこで引くべきでは無かったか。昔なら無理してでも減薬していた気がする

 

少し違和感はある先生だったがADHDの子供達の診察を丁寧にやってる姿を見て、その言葉を信じることを選択した。自分の選択だ。

 

過去は良かった訳で、何が正解かは分からないが、一つだけ言えるのは今の体調がかなり悪いということ

 

先程書いたように今が蛹なのかもしれないが、蝶になるには暫く時間が掛かる

 

この状態で今の難易度が高い職務をこなすのはそろそろ限界かもしれない

 

薄々気付いていた。自分の能力では難しいことを。でもそれを受け入れることは難しかった。

 

たが、先ほど会社のアセスメント用紙に、会社人生で初めて「現行組織が適していない」と書いた。

 

自分にとっては自ら敗北を認めるに等しいこと

 

逃げ出したに等しいこと

 

 

たかが会社でという人も居るだろうが、自分にとってはここが居場所だった

 

惨めな気分と

 

薬を飲み続けてまで頑張ってきた自分に感謝の言葉をかけていたら

 

恥ずかしながら涙してしまった

 

 

一番列車から降りてみた

 

さあ次は何処へ行こう

 

 

今週のお題「感謝したいこと」